蒼夏の螺旋 “小夜曲”



 思い出したようなタイミングのどこか遠くで、車の走行音が右から左に流れゆき。誰ぞへの挨拶代わりか、輪郭のぼけたクラクションをふぁ…んと一声、鳴らして消えてった。まさかにそれが合図だった訳ではなかったが、
「………。」
 裏路地の夜陰の中に沈んでいたものが、背中をつけていた壁からその身を起こす。ただそれだけで…群雲の中から現れ出でた望月のように、秘そめられていたその存在感までもをあらわにする。酒場の裏口、ぼんやり灯る明かりの中、表情の半分を覆うように、その片側を細い顎先まで伸ばされた金髪にいや映える青い瞳は、まるで質のいい宝玉を思わせたが。何への不快か、尖っている気色のせいでキツく眇められ。せっかくの端正な面差しも、その持ち主の苛立ちに塗り潰され、相当に険を含んで棘々しい。
“…ったく、懲りない連中だよな。”
 濃色のジャケットの懐からつまみ出した、紙巻きのパッケージ。白い1本を引っ張り出すと、一緒に取り出していたマッチを慣れた手つきで摺って点け。最初の紫煙を溜息代わりに吐き出すまでが瞬く間。それなり、小道具扱いして勿体振った吸い方も出来ようが、今はそれどころではなかったのか、自分のくゆらせる煙へまで忌々しげに目許を歪め、それでもまま、半分ほども吸うことで多少は…落ち着けなかった手持ち無沙汰を何とか宥められたよう。人気のない闇の中にダークスーツ。かなりの痩躯である上にそんなシチュエーションの中に身を置いているから、まるで月夜の幻影。顔と首元、時折 口元を覆う手の白だけが際立って、夜の帳(とばり)からにじみ出して来た何かしらの魔物のようにさえ見えかねない。町なかの夜は昼間の雑踏の残り香のせいか、古いドラマの再放送の画面みたく、ざりざりとした肌触りがしてあまり好きではない。それは冴えた蒼い月光が似合いの、荘厳で瑞々しい緑の中を、あてもなく何も考えず、ただ歩くのが好きだったが、
“贅沢を言ってる場合でもねぇか。”
 3分の1ほどを残して、指先で捻った紙巻きの火口。熱くない筈はないのだが、言ってらんねと足元へ放り出し、姿勢を低めて路地を駆け出す。灰のついた指先を細い息で吹き払えば、確かめずともそこには火傷の影もなく。後背から迫る足音の群れへ、口の端、小さく引き上げて笑って見せた。



 もうどのくらい、こんな日々を送っているものやら。連綿としたそれではないし、その時その時で主幹もころころと変わっているようではあるが、なかなかに執念深い追っ手がかかることがある身だった。どんな過失から露見したのかなんて、こちらには判らない。自暴自棄になってた頃もあったから、そんな頃合いの自分を見かけた誰かの証言をご丁寧にも拾い集めて分析した奴がいたのかも。ビルの屋上から落ちて、確かに頭が割れたほどの惨状になっていたのに、救急の駆けつけるより早く、自分の流した血の海から立ち上がって逃げた男がいるだとか。はたまた、何かしらの揉めごと確執の末、機関銃で乱れ打ちされ、弾丸の雨で壁に縫いつけられ。ボロ雑巾のようにズタボロにされた奴が、なのに、気の済んだギャングどもが立ち去ってから、何食わぬ顔で同じ路地から出て来ただとか。もともと、社会的には“幽体”だから、行動を追跡しようにも足跡も痕跡もないってのに。それでも紛うことなく本人へと肉薄出来る組織がたまにはあって、
“金と人脈、それから蓄積あってのことだろうが。”
 そこまでの三拍子が揃っているとなると、追っ手を放った大元はどこぞの“国家”だったりもするらしく。そうともなると、金や逆ギレが利かないから厄介で。昔は同業だったんだ、察しくらいは出来るが、
“…俺はそこまでの忠義立てなんか しなかったんだがな。”
 ああそうか、その組織が残した資料ってのもあろうよな。いつだったか、潜入して焼却消去してやった筈だのに、関わった野郎の記憶で再構築しやがったのかもな。

  ――― 不死という、人類の求める究極の奇跡。

 それの生体見本がこの俺だと、気づける鼻のよさにこそ、こっちは感心してやまない。セキュリティのためとのお題目の下、個人認証の技術も進み、人々には基番号がつけられ始めて。アナログからデジタルへ、自分が自分である証明が何かと必要になる、誤差を認めない見落とさない社会へと、あれこれ整備されてくのを眺めやり。まあそれでも、こちとら様々に順応性があったそのままで活性化の続く身となったので。巨大組織の連絡網やら、果てはスーパーコンピューターなんてな強敵相手でも、その足元をハードからソフトから掬って素っ転ばすための悪知恵には事欠かなくて。
“ああ、そういうところからの恨みを買ってもいるんだろうな。”
 くくっと苦笑って、だが、表情を引き締める。今までは、どこかでどうでも良いと投げてたからこそ、純然たる本能が身を助けてくれてたようなものだったのだけれど。皮肉なもんで、意識してしがみつくようになってからは、さしたる難関でもないことへまで余計な焦燥が沸き立っては、好機へのアプローチの邪魔をする。失いたくはないものが出来たその分、生きることへの戦いが苛酷になったということか。

  “………4、3、2、1っ。”

 人通りも絶えた街路を満たす夜陰の中。スーツの裾をはためかせ、風のように疾走しながらのカウントダウンと共に、月光に照らされた石作りの建物を見据える。古い安宿、決済は現金。だが、それまでの…口が堅かった支配人がどうして実家では豊かに暮らせていたのかまでは伝授されてはいなかったのか。新しい支配人が小銭好きだったもんだから、こちらの行動がどこやらかの筋に洩れており。科学の進歩のこれも恩恵か、自分たちで公明正大な進化を刻みつつある反動で、今じゃあ何十年かに一度という周期に落ちてた“その筋の追っ手”が久々にかかってのこの難儀。恩返しも兼ねた某大物からのパスポート手配の依頼。その最後の詰めとなってた現物譲渡を何とか済ませ、何もこのタイミングじゃなくたって良かろうにと、朝からのずっとを愚痴っていたが、
“もしかして…。”
 実は当の本人だからだが、いつも似たよなタイプの若い衆しか使わない“闇渡り”に、さては不審感を持ちやがったかな? チラッと、そんな疑惑が今になって浮かんだものの、見据えてた窓からの人影がこっちへと乗り出して来たのを見定めると、何もかんも全部が吹っ飛んだ。

  「………っ!」

 怖くはないかと何度も訊いた。木登りだったら子供の頃に、何度もやったし落ちもしたから、今更怖くなんかねぇなんて、一丁前の強がりを言ってたが。3階の窓から闇を目がけて落ちて来いなんてのは、全然全く次元が違う。
『もしかして落ちどころが悪くたって、死なないんだし』
 自分でそんな言い方をしていたのへは、真剣本気で眉を顰めて見せといたので、生半可な気持ちでかからないとは思うのだけれど。こちらからは満天の星空の真ん中、滑空して来るルフィが見えて、翼のように大きく広げた、雄々しくはないがそれでもそこそこ、強靭さでは自信の両腕
かいなへがっつり受け止め、
「…っ!」
 1歩だけ、後ずさりをしたが、それをバネにそのまま駆け出す。彼がいた窓へと、遅ればせながら殺到した気配があって、何やら罵声を飛ばしてたみたいだが、そんなことはもう知っちゃあいない。小さな体をなお縮め、しゃにむにしがみつく温もりの方が何よりも優先だったから。自分を追っていた気配の方は、途中の2階構造になってた高架橋から一気に飛び降りて撒いてある。もっとも、そん時に捻った足首が、今ちょっとまずい事態を引き起こしたみたいで。
「………さんじ?」
 月光の青に満たされた石畳の広場の手前。そこを突っ切れば、貨車が居並ぶ操車場へと出る。夜間移送の車両スケジュールを、ネットからちょちょいと割り込んで操作して、本来 予定も予約もなかったワインのコンテナを余分に連結した輸送便がそろそろ出るから。それへと潜り込めばこの町とも おさらばという手筈になってたものの、

  「悪りぃ。ちょっとタンマな。」

 ぬかった。一瞬、チクリと痛んだ足を庇ってバランスが狂ったか、それとも高架橋から飛び降りた時に既に軽くヒビでも入っていたか。足首付近の骨が逝ってる。力の配分がまずかったのか、右の二の腕も奥まったどこかがひりりと痛む。骨だの筋だのの負傷となると、切った裂かれたって時の傷のよな、派手さや衣装の汚れはないから助かるが、あっと言う間に快癒っていかないのが厄介で。
「サンジ。」
 家並みの軒下、闇だまりに身を隠す。急に立ち止まり、そっとながらも腕から降ろされたことから、そうまで慎重な用心なんて必要ない距離だったのにと、懐ろにいた坊主が不安げな声を立てたが、
「大丈夫だって。」
 額に前髪を張りつかせる やな汗も、ゆっくりと息をついて…数分すりゃあ何とか引いた。ただ、不意に無駄口を一切きかなくなって、ぎりりと唇を噛みしめ、眉を寄せて時が過ぎるのを待ってって様子だったのは、いくら何でもルフィへも伝わったらしくって。
「怪我、したんだ。」
 抑揚のない声で聞いて来る。してねぇよと言い返したが、
「うそ。」
 ぱふりと、こっちのジャケットの懐ろに頬を伏せ。くすんと息をついたのが泣き出してのことかと慌てたが、
「汗かいてるもん。痛かったんだ。」
「…当たり。」
 犬みたいだな、お前。手触りのいい黒髪、指先にからめるようにして梳いてやり、
「でも、もう大丈夫だ。」
 どっこも痛くねぇよと笑えば、それの何が不服かむうっと膨れた顔を上げて来る。

  ――― 俺、受け止めなくてもいいって言ったじゃんか。

 加速のついた自分という落下物を、その細腕で受け止めたから。そんで怪我をしたんだろうがと。責めるように言うもんだから。
「…ば〜か。」
「何だよっ。」
 心配してんのに愚弄するかと、ますます頬が膨らんだそのお顔が、何とも愛しい坊やへと、
「空き地一面に血だまり作って、なのに死体はありませんってな、新しい都市伝説でも作りたいのかよ。」
「…っ☆」
 わざとに辛辣な言い方をして、窘めて。ぐうの音も出なくなったところへ、うつむきかけてたおでこへと、こっちの額をこつんことくっつけてやり、
「いつも言ってるだろーがよ。俺への心配はしなくていいんだ。」
「でも…。」
 このごろ、自分がお荷物なんじゃあないのかと、しきりに気にするようになってる坊主で。ジャケットの襟にしっかと掴まった手の重みも。何か言い足したくて、でも、語彙が足りなくて悔しそうに睨んでくる、黒々とした瞳の潤みも。歯痒そうに苦しそうに思い詰めてるのは ちと気の毒ながら、それでも…何もかもが俺には愛惜しい。そこへと息づく生気の温みが、そのままこっちの存在まで支えてくれる。手放したくはない、奪われたくはないとする、俺にもやっと出来た、生き抜くための理由。世に二つとない、至極の“宝物”。それが涙で曇り出してしまわぬうちにと、
「さ、行こうや。」
 低いながらも切れのいい声、尻を叩く代わりにかけてやり。あと何時間もしないうち、この街にも朝日が昇る。陽の光は好きだが、それによってあぶり出されるのは ちと勘弁な身としては、黎明が始まる前の曖昧な闇に紛れて、とっとと逃げ出すに限るから。遠い足音が別の路地裏を錯綜しているこの隙に、炎症の鎮まった腕へと坊やを抱え、再生を果たした足で軽やかに駆け出して。永遠の陰踏み鬼、どこまでも逃げ続けてやろうじゃないかと、誰もいない街路を駆け抜ける。聞く者のない足音は、風が攫ってもう消えて。後には元通りの月光と夜陰だけが、冷たく広場を満たしていた………。







  〜Fine〜  06.10.17.


  *時々、テープを巻き直すためと称しては、
   アニワンの撮りだめを観直しているのですが。
   作画のいいときのサンジさん大活躍の回なんぞを観たりすると、
   ついつい“何か書きたい発作”が沸き起こります。
   今回のは、ワンダでしたか、CP9づきの変なコックの話の回で、
   包丁の二刀流を披露するサンジさんが異様にカッコよかったので、
   ついつい発作が起きてしまったようでございます。
   只今 進行中のお話とは何ら関係がございませんで。
   そっちをとっとと進めないで何やってんだかでしたな、失礼しました。

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